突然ですが。
西日本新聞より引用
「自分の『普通』嗤われるの嫌」命絶った20歳の女性 届かなかった支援、母の苦悩 https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/513530
正直、遺書の一部が私と重なって、とてもつらい。
学生の頃に思っていたこと、今も思うこと、ほぼそのまんまです。
お悔やみ申し上げます。
世間との違いを自覚するのは非常につらいことです。
それに、世間の「普通」になりたくてもなれない苦しみったら、その人にしかわからないし、当人もわからない場合だってある。
だって、その人にとっての「普通」が世間と合わないのが当たり前だから。
無理に合わせようとしたって、次々と異なることを突きつけられる。
勝手に入れられた箱の中で、みんなとずれて嗤われて貶されて避けられて、お金を食い潰して死を待つだけの生き物になり果てるのがどんなに苦痛か。
わかるわけがない。わかってほしくもない。
今の私なんですけどね。
本当はもう何も食べたくない。息もしたくない。名前を知らない花の肥やしになりたい。
生きようと努力する方はすごい。でも私にはできない。
しがみつくのは疲れました。
命の大切さを説かれても、あなたにとってはそうなんでしょうねとしか感想を抱けない。
私は「はないちもんめ」が大嫌いです。
絶対に取り残される。
友達作りだけでなく、受験や就活も同じです。
私は常に弾かれる側です。
何かの障害かどうかは検査中です。
でも、障害であるにしろないにしろ、弾かれる側には変わりありません。
友達はできませんし、就職もできません。
こんな私じゃなくて、代わりに父が生きていたらと常に思います。
私がいなくて、父が生きていれば、きっと私の家族は「普通」で在れたでしょう。
「普通」に笑って、「普通」に苦労して、どこまでも「普通」に。
誰に何を言われようと、心からそう思ってしまいます。
そう思って、泣いてしまいます。
「普通」に生まれたかったです。
不必要な苦痛なんて要らなかった。
これは誰のせいでもない、私自身の問題です。
だけど、同じ思いの方はいなくなってほしい。
周囲との摩擦が摩擦でなくなってほしい。
どうか、どうか、世の中の人が多様である事実を考慮してほしい。
理解なんてしなくていい。
ただ、より多くの人が生きやすいようにしてほしい。
こんなに惨めな存在になるのは、もう私だけでいい。
とあるうつ病の社会人より。